江戸の町には、大名や旗本が暮らし、政務を行う武家屋敷が広がっていました。現在の港区にあたる地域は、そのなかでも武家地の占める割合が高かった場所です。港区立郷土歴史館の特別展図録『江戸の武家屋敷―政治・生活・文化の舞台―』では、屋敷絵図や古文書、発掘資料、浮世絵、古写真を通して、武家屋敷の造りと、そこで活動した人びとの姿を紹介しています。仙台藩伊達家上屋敷の絵図と翻刻を見比べられるほか、慶応四年頃の町並みを写した古写真、武家屋敷内の神仏を扱う論考も収録。江戸の武家屋敷を建物、生活、政治、地域との関係から読みたい人に向く一冊です。
- 江戸の武家屋敷―政治・生活・文化の舞台―
- 武家屋敷の特徴―上屋敷・中屋敷・下屋敷の違い
- 図録の見どころ
- 港区域に集中していた大名屋敷と旗本屋敷
- 仙台藩伊達家上屋敷の絵図と翻刻
- 熊本藩細川家中屋敷と御用達の宇田川家
- 浮世絵と古写真に残された武家屋敷
- 飯野藩保科家の日記から読む幕末維新
- 麻布に屋敷を構えた旗本たち
- 開かれた武家屋敷の神仏
- 図録の詳細と読後の感想
- 図録情報
- 図録の目次
- 図録を読み終えて

江戸の武家屋敷―政治・生活・文化の舞台―
図録の見どころを紹介する前に、江戸の大名屋敷を理解するうえで欠かせない上屋敷、中屋敷、下屋敷の違いについて少し解説します。
武家屋敷の特徴―上屋敷・中屋敷・下屋敷の違い
大名は参勤交代によって江戸と国元を往来し、江戸で政務や生活を行うための屋敷を必要としました。大名家によって数や使い方は異なりますが、江戸に複数の屋敷を持ち、それぞれに役割を持たせる例がありました。
上屋敷は、藩主が江戸に滞在する際の中心となる屋敷です。主に藩主とその妻子の居所として使われ、江戸における大名家の政務の拠点にもなりました。
上屋敷の内部は、藩主や家族の生活、接客、儀礼などに用いられる御殿と、江戸詰の家臣たちが勤務するエリアに分けて捉えることができます。御殿だけを見れば大名の住居ですが、屋敷全体には政務を担う部屋、家臣の詰所、長屋、台所なども必要でした。多くの人が働き、生活する複合的な施設だったことが分かります。
中屋敷は、主に隠居した藩主や世継ぎの住居などに使われました。ただし、熊本藩細川家の白金屋敷のように、藩主が居住する場合もあり、用途は大名家や時期によって異なります。
下屋敷は江戸の周辺部に設けられることが多く、国元から運ばれた荷物を扱うため、水辺に置かれた蔵屋敷もありました。細川家の白金屋敷のように藩主が居住する例もあり、使い方は大名家や時期によって異なります。
また、同じ屋敷でも、時期によって上屋敷、中屋敷、下屋敷の呼称が変わることがあります。屋敷の名称は建物の形を分類する言葉というより、その時期に大名家のなかで担っていた位置づけを示すものと考えると分かりやすいでしょう。
図録の見どころ
本書では、港区域にあった武家屋敷を、絵図、古文書、発掘資料、浮世絵、古写真からたどります。建物の造りだけでなく、屋敷で勤務した家臣、出入りした商人、屋敷内の社寺を訪れた人びとまで扱っている点が特徴です。図版を中心に読み進められる一方、巻末には武家屋敷内の神仏を掘り下げた論考も収録されています。
港区域に集中していた大名屋敷と旗本屋敷
第一章では、港区域に置かれていた大名屋敷や旗本屋敷の全体像を取り上げています。江戸の都市空間は武家地、寺社地、町屋などに分けられましたが、現在の港区にあたる地域では、とりわけ武家地の割合が高かったと図録では説明しています。
屋敷の分布を見ると、愛宕下など江戸城に比較的近い場所には上屋敷や中屋敷が置かれ、高輪など江戸の周縁部には下屋敷が多く造営されました。
図録には、現在の東新橋、高輪、麻布、虎ノ門、三田などにあった武家屋敷が登場します。
仙台藩伊達家上屋敷の絵図と翻刻
仙台藩伊達家は、現在の港区東新橋一丁目に上屋敷を構えていました。この土地は寛永十八年に下屋敷として与えられ、延宝四年から明治維新後に収公されるまで上屋敷として使われています。
屋敷跡は、北側の龍野藩脇坂家上屋敷跡、南側の会津藩松平家中屋敷跡とともに、汐留遺跡として発掘調査が行われました。本書では絵画、絵図、考古資料を通じて、伊達家上屋敷の外観や内部の様子を追っています。
なかでも目を引くのが、仙台藩伊達家上屋敷と推測される御上屋敷絵図と、江戸御屋敷御殿略絵図です。どちらにも翻刻が付されているため、絵図に書き込まれた文字を確認しながら、部屋の配置や屋敷内の区画をたどれます。
絵図には細かな文字で部屋名などが記されており、翻刻と照らし合わせながら間取りを確認できます。
熊本藩細川家中屋敷と御用達の宇田川家
第二章では、熊本藩細川家の中屋敷と、細川家の御用を勤めた宇田川家との関係を取り上げています。大名屋敷で必要とされた品々は、屋敷の内部だけで用意されたわけではありません。職人や商人が御用達として出入りし、衣食住に関わる仕事を支えていました。
細川家は、現在の港区高輪一丁目に広い屋敷を所有していました。細川家では白金屋敷と呼ばれ、時期によって上屋敷や下屋敷として使われた後、文政十年から中屋敷となっています。本書では、屋敷跡から出土した考古資料を通して、白金屋敷の姿を紹介します。
宇田川家は代々革屋八郎兵衛を名乗り、細川家の御用を勤めた仕立職の家です。店舗と住居は、細川家の屋敷に近い下高輪証誠寺門前にありました。宇田川家に残された古文書から、細川家との関係が少なくとも寛文五年から明治三十五年まで続いたことが分かると、本書では整理しています。
宇田川家に残された古文書には、武家屋敷の外から仕事や品物を提供した御用達と大名家との関係が記録されています。
浮世絵と古写真に残された武家屋敷
第三章では、浮世絵と古写真という視覚資料から武家屋敷を見ていきます。武家屋敷は大名や家臣が暮らす場所でしたが、屋敷内に設けられた神社が一般の人びとに開放され、江戸の名所となる例もありました。
丸亀藩京極家上屋敷の金刀比羅宮は、国元で信仰された祭神を江戸屋敷に勧請したものです。文化年間の末頃から毎月十日に一般の参詣が許されました。久留米藩有馬家上屋敷の水天宮も、天保二年頃から毎月五日に屋敷が開放され、人びとの参詣を受け入れています。
浮世絵からは、屋敷内の神社だけでなく、参詣に訪れた人びとや周囲の景観も確認できます。塀に囲まれた武家屋敷が、決められた日には町の人びとを迎える場所になっていたことを、絵の中から読み取ることができます。
古写真のなかでは、慶応四年頃に愛宕山から新橋方面を撮影した一枚が印象に残りました。手前には真福寺の山門があり、その先に大名や旗本の屋敷が続きます。長屋塀や門が道路沿いに並び、江戸の町に武家屋敷が密集していた様子を実写で確認できます。
飯野藩保科家の日記から読む幕末維新
第四章では、麻布に上屋敷を置いていた飯野藩保科家を通して、幕末維新期の大名屋敷を取り上げます。各大名家の江戸屋敷では、藩主の動向や屋敷内の出来事が日記に記録されました。飯野藩保科家の上屋敷日記からは、幕末維新期の政治情勢に対応する同家の動向を確認できます。
飯野藩保科家は、現在の港区麻布十番二・三・四丁目にまたがる範囲に上屋敷を置いていました。藩主が江戸に滞在する場所であり、江戸における政務の拠点としても使われています。
本書では、十代藩主保科正益に関わる品々とともに、上屋敷で作成された日記を紹介しています。日記からは、慶応三年冬から明治元年にかけて、政治情勢が変化するなかで保科家がどのように動いたのかをたどれます。
保科家は譜代大名であり、京都守護職を務めた会津藩松平家とは親類関係にありました。図録では、慶応三年冬から明治元年にかけての動向に、譜代大名としての立場や会津藩松平家との親類関係が反映されていたと説明しています。
麻布に屋敷を構えた旗本たち
江戸の武家地を構成していたのは、大名屋敷だけではありません。第五章では、麻布に屋敷を持った旗本の久保家と大谷木家を取り上げ、旗本屋敷の動向や生活を紹介しています。
久保家は、現在の港区南麻布一丁目にあたる場所に屋敷地を与えられていました。本書では、旗本家に伝わった古文書や屋敷跡から出土した考古資料を取り上げています。
大谷木家の事例では、幕臣たちの屋敷交換が扱われています。幕臣の間では、互いの合意によって拝領屋敷を交換する相対替(あいたいがえ)が行われることがありました。本書では、大谷木家に残された記録から屋敷交換の経緯を紹介しています。
開かれた武家屋敷の神仏
巻末には、岩淵令治氏による論考「開かれた武家屋敷の神仏」が十三頁にわたって収録されています。図版史料が中心となる本書のなかで、武家屋敷内に祀られた神仏について、まとまった文章で読める部分です。
第三章に登場する金刀比羅宮や水天宮は、大名家が国元から祭神を勧請し、江戸屋敷内に設けた神社です。金刀比羅宮では毎月十日、水天宮では毎月五日に一般の参詣が認められ、早朝から多くの参詣客が詰めかけていました。
図録の詳細と読後の感想
図録情報
| 図録名 | 江戸の武家屋敷―政治・生活・文化の舞台― |
|---|---|
| 発行 | 港区教育委員会 |
| 発行日 | 令和3年3月31日 |
| ページ数 | 122頁 |
| 価格 | 1,000円 |
図録の目次
図録を読み終えて
『江戸の武家屋敷―政治・生活・文化の舞台―』は、長い解説を続けて読む図録というより、各章に掲載された史料を見ながら、武家屋敷の造りやそこで暮らした人びとの姿をたどる一冊です。各図版には短い解説が付されているため、気になる章や史料から読み始めることもできます。
仙台藩伊達家上屋敷に関する二つの絵図は、原図だけを眺めるよりも、翻刻と照らし合わせることで細部を追いやすくなりました。部屋名を一つずつ確認していくと、大名屋敷の広さだけでなく、内部が細かく使い分けられていたことにも目が向きます。
家臣たちがやり取りした書状も見逃せません。大名屋敷を建物として眺めるだけでなく、そこで勤務していた家臣が何を伝え、どのように仕事を進めていたのかを考える手掛かりになります。御用達の宇田川家に残された記録と合わせて読むことで、屋敷の内外を行き来した人びとの姿が見えてきます。
第三章に掲載された、愛宕山から新橋方面を撮影した慶応四年頃の古写真も印象に残りました。博物館のジオラマなどで復元された江戸の町並みを見る機会はありますが、実際の景観を写した写真からは、門や長屋塀が続く街路の様子をより身近に感じられます。
一方、巻末に図版をまとめた資料一覧や長文の個別解説はありません。各ページの短い解説を読みながら史料を見ていく編集です。巻末の論考では、図版中心の各章とは異なり、武家屋敷と信仰、一般参詣の関係を文章で詳しく読めます。
展示会場で見た屋敷絵図、古文書、浮世絵、古写真を、自宅で改めて確認するための図録として役立ちます。会場では細部まで読み切れなかった絵図の翻刻や書状を見返すことで、それぞれの史料がどの章のテーマと結びついていたのかを整理できます。巻末の論考まで読むと、展示で紹介された金刀比羅宮や水天宮についても理解を深められます。
展示を観覧していなくても、章の順番に読み進めることで、武家屋敷の立地や構造から、そこで働いた人びと、信仰、幕末維新期の動向までを段階的に知ることができます。現在の地名も登場するため、読後に港区の屋敷跡を訪ねる際の参考にもなります。
おすすめしたいのは、次のような人です。
- 江戸の大名屋敷や旗本屋敷の間取りを知りたい人
- 屋敷絵図と翻刻を見比べながら読みたい人
- 武家屋敷で働いた家臣や御用商人の暮らしに関心がある人
- 幕末の江戸を撮影した古写真を見たい人
- 現在の港区と江戸時代の武家地を重ねて歩きたい人

