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2026.06.26

福井県立歴史博物館「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~ 図録レビュー

過去4回にわたり、豊臣秀吉に関連する図録を紹介してきました。京都の都市改造、桃山文化、因幡の大名、信長・秀吉・家康と越前。今回はその流れを受けて、秀吉と賤ヶ岳で対峙した柴田勝家を主役にした一冊を取り上げます。

紹介するのは、2023年に福井県立歴史博物館で開催された特別展「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~ の図録です。柴田勝家を題材にした図録や本は多くありません。その意味でも、勝家の肖像、所用品、書状、北庄城関連資料、賤ケ岳合戦図屏風までをまとめて確認できる本書は、柴田勝家に関心がある人にとって手元に置きたい一冊です。

-・- 目次 -・-
  • 「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~
    • 柴田勝家と豊臣秀吉
    • 柴田勝家とお市
  • 図録の見どころ
    • 柴田勝家の肖像・座像・所用品から「鬼柴田」の姿を見る
    • 越前入部までの動向を文書と合戦資料でたどる
    • 北庄城と城下町から勝家の越前支配
    • 刀さらえと検地から統治者としての勝家を見る
    • 本能寺の変直後の勝家の動向
    • 賤ケ岳合戦図屏風で武将たちの動きを確認する
    • 92点の図版と巻末資料一覧で展示資料を確認できる
  • 図録の詳細と読後の感想
    • 図録情報
    • 図録 目次
    • 図録を読み終えて

「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~ 展示図録の表紙 福井県立歴史博物館 撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)
福井県立歴史博物館で開催された「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~ 展示図録の表紙 撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)

「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~

『「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~』は、柴田勝家を「武勇の人」としてだけでなく、越前を治めた統治者、北庄城下を整備した領主、信長死後も織田家への忠義を貫いた重臣として読み直せる図録です。図版は92点。フルカラーで、各図版の下には短い解説が添えられています。巻末には展示資料一覧があり、資料名、員数、寸法、成立年代、所蔵を確認できます。

柴田勝家と豊臣秀吉

柴田勝家と豊臣秀吉の関係を考えるうえで大きな転機になるのが、天正10年(1582)の本能寺の変です。織田信長が明智光秀に討たれたあと、誰が織田家中を主導するのか。ここで勝家と秀吉の立場は大きく分かれていきます。

勝家は織田家の重臣として北陸方面を担当していました。本能寺の変が起きたころには、越中の魚津城をめぐる戦いに関わっており、京都からは距離のある場所にいました。一方、秀吉は中国地方で毛利氏と対峙していましたが、本能寺の変を知ると急いで畿内へ戻り、山崎の戦いで明智光秀を破ります。この行動が、信長死後の秀吉の立場を大きく押し上げました。

その後、清須会議を経て、織田家の政務は有力な一族と重臣たちの合議によって進められる方向になります。しかし、山崎の戦いで功績をあげた秀吉は勢力を拡大し、しだいに織田家中での主導権を強めていきました。図録では、織田家への忠義と家臣の合議を重視した勝家が、秀吉の独断専行に不満を募らせていったと整理されています。

勝家と秀吉の対立は、天正11年(1583)の賤ヶ岳の合戦へ向かいます。勝家は織田家に仕え続けた重臣であり、武勇にすぐれた人物として知られていました。それに対して、秀吉は信長死後の情勢をつかみ、自らの勢力を広げていきました。図録の第三章では、この二人の分かれ道を、勝家の忠義と秀吉の野望という視点から整理しています。

勝家は秀吉に敗れた武将として語られることが多い人物です。しかし本書を読むと、勝家を敗者の側から見るだけでは足りないことが分かります。織田政権の拡大を支えた重臣としての実績、越前を治めた政治力、そして信長死後の判断。そこまで含めて見ることで、賤ヶ岳の合戦は「秀吉が勝った戦い」という結果だけでなく、織田家中の秩序が大きく変わる場面として見えてきます。

柴田勝家とお市

柴田勝家とお市を語るとき、多くの人が思い浮かべるのは北庄城での最期ではないでしょうか。お市は織田信長の妹で、浅井長政に嫁ぎました。浅井氏滅亡後、のちに柴田勝家の妻となります。勝家とお市は、織田家と浅井家、そして柴田家をつなぐ存在としても重要です。

お市は、戦国時代の女性のなかでもよく知られた人物です。ただし、広く知られている人物である一方、その生涯を同時代の史料だけで細かくたどることは簡単ではありません。勝家との関係についても、後世の物語や絵画の印象が強く重なっています。そのため、図録で座像や肖像画、関連資料を確認できることには大きな意味があります。

勝家とお市の最期は、天正11年(1583)の北庄城落城と結びついています。賤ヶ岳の合戦で敗れた勝家は北庄城へ戻り、秀吉軍に攻められました。図録では、勝家の最期をめぐる資料や、のちに描かれた二人の姿を通して、武将としての勝家だけでは見えてこない一面にも触れることができます。

勝家とお市を夫婦の悲劇としてだけ読むと、北庄城落城の印象だけが残ります。しかし、勝家とお市の関係は、信長死後の織田家をめぐる動きとも切り離しては見にくいものです。お市の存在を通して見ると、勝家は織田家の重臣であり、信長死後の織田家をめぐる動きの中にいた人物であることがよりはっきりします。

本書に掲載されている柴田勝家とお市の座像、肖像画は、北庄城で最期を迎えた二人が、後世にどのように見られ、伝えられてきたのか。図版を手元で見返しながら考えられるところも、この図録の読みどころです。

図録の見どころ

柴田勝家の肖像・座像・所用品から「鬼柴田」の姿を見る

第一章「越前入部までの動向」では、柴田勝家の肖像画や座像、所用品と伝わる資料から、勝家という人物の姿をたどることができます。柴田勝家座像、お市の方座像、柴田勝家画像、柴田勝家が信長から拝領したと伝わる青井戸茶碗、勝家所用と伝わる太刀などが掲載されています。

勝家というと、「鬼柴田」「瓶割り柴田」といった勇ましい異名で語られることが多い武将です。図録でも、勝家の武勇を示す資料は重要な位置を占めています。ただ、実際に図版を見ていくと、猛将の印象だけではない勝家の姿も見えてきます。

肖像画や座像は、勝家がどのように記憶されてきたのかを考える手がかりになります。茶碗や太刀のような伝来品は、勝家が信長の重臣としてどのような位置にあったのかを想像させます。文章の解説は短めですが、図版を見ながら資料名や所蔵を確認していくと、勝家をめぐる資料がまとまって掲載されていることのありがたさを感じます。

越前入部までの動向を文書と合戦資料でたどる

勝家は織田信長の筆頭重臣として知られていますが、はじめから信長に従っていたわけではありません。織田家の家督をめぐる争いでは信長と対立し、その後、信長に仕えるようになりました。

図録では、勝家が各地を転戦しながら戦功を重ねていく姿だけでなく、行政文書などを通して政治面での働きにも目を向けています。京都や畿内、近江、伊勢、越前へと動いた勝家は、合戦で働くだけの武将ではなく、所領の安堵や相論の裁許など、領域支配にも関わっていました。

ここで読み取りたいのは、勝家が「武勇だけの人」ではなかったという点です。戦場での強さが語られやすい人物ですが、織田政権の重臣として働くには、軍事と政務の両方に関わる力が必要でした。本書では、その両面を図版と解説で追えるようになっています。

勝家の書状が掲載されている点も見逃せません。肖像や武具だけでなく、文書を通して勝家の活動を確認できるため、人物像が合戦の場面だけに偏りません。勝家がどのように織田家中で地位を高めていったのかを知る入口として、この章は重要です。

北庄城と城下町から勝家の越前支配

第二章「越前支配の実態」では、勝家が越前をどのように治めたのかが扱われています。勝家は、信長によって越前支配の中心人物に任じられ、北陸方面の攻略と領国支配を担いました。その舞台となったのが北庄です。

北庄城は焼失しているため、当時の姿をそのまま知ることはできません。図録では、北庄城期と推測される瓦、壺、太刀などの遺物が掲載されています。残された資料は限られているものの、こうした遺物を通して、勝家の時代の北庄城を考えることができます。

読み物として注目したいのが、織田信長による越前国割と、北庄城下の推定復元図です。北庄が交通や経済の面で重要な場所だったこと、勝家が城と城下町の整備を進めたことが、地図や復元図を通して理解しやすくなっています。

勝家は、北庄城を拠点に武家地や町場を整え、商人や職人、寺社の移住を進めました。秀吉の書状やルイス・フロイスの記録から、九重の天守が存在していた可能性が指摘され、安土城にも劣らない壮大な出来栄えだったと推測されています。九十九橋の改修や町奉行の設置、北庄法度、楽座令などにも触れられており、城づくりと町づくりが結びついていたことが分かります。

勝家を「秀吉に敗れた武将」として見るだけでは、この章の価値は見えてきません。越前をどう治め、北庄をどのような拠点にしようとしたのか。図録を読むことで、勝家の統治者としての姿に目を向けることができます。

刀さらえと検地から統治者としての勝家

勝家の政策として「刀さらえ」と検地にも触れられています。どちらも、勝家の越前支配を考えるうえで重要な内容です。

刀さらえは、知行高に応じて武器を供出させた政策として紹介されています。後世の記録では、取り上げた武器を鋳直し、農具や九頭竜川の舟橋の鎖に用いたと伝えられています。ただし図録では、勝家が同じ時期に反本願寺派の村々に対して武装を促す政策も行っていたことに触れています。そのため、のちの秀吉の刀狩と同じものとして見るのは慎重であるべきだと整理されています。

検地については、越前一国規模で実施された政策として扱われています。軍事的な緊張が高まるなか、勝家は村を単位として把握し、石高を算出し、年貢や軍事動員につなげていきました。ここから見えるのは、戦場で戦う勝家ではなく、領国を管理し、軍事体制を整える勝家の姿です。

この章は、勝家のイメージを大きく広げてくれます。「鬼柴田」という異名からは、どうしても武勇の印象が先に立ちます。しかし、越前支配の実態をたどると、勝家が村、年貢、武器、城下町、家臣団をどう動かそうとしたのかが見えてきます。

本能寺の変直後の勝家の動向

第三章「信長死後の動向」では、本能寺の変後の勝家の動きが扱われています。ここは、秀吉との対立を考えるうえで重要な章です。

図録では、「本能寺の変直後における柴田勝家の動向」が解説されています。勝家は6月3日に魚津城を攻略し、6日に本能寺の変が起きたことを知って撤退を開始し、9日に北庄城へ帰還したと説明されています。この流れを地図で確認できるため、勝家が置かれていた状況を視覚的に理解しやすくなっています。

秀吉の中国大返しと比べると、勝家は山崎の戦いに間に合わなかった人物として語られがちです。しかし、地図で見ると、勝家が北陸方面にいたこと、周辺情勢に対応しながら動く必要があったことが分かります。図録は、勝家が行動できなかった理由を、距離や情勢の面から考えられるようにしています。

この章の良さは、勝家と秀吉の動きを同じ時期の出来事として整理できるところです。秀吉が光秀を討ったことはよく知られていますが、その一方で勝家がどこにいて、何をしていたのかは、詳しく知らない人も多いと思います。図録を読むと、信長死後の主導権争いが、勝家の側からも見えてきます。

前回紹介した『天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―』とあわせて読むと、越前という場所が、信長の死後の政治情勢の中でどのような意味を持っていたのかも考えやすくなります。

賤ケ岳合戦図屏風で武将たちの動きを確認する

第三章では、賤ヶ岳の合戦に関する資料も大きな見どころです。図録には、賤ケ岳合戦図屏風の左隻と右隻が掲載されています。さらに、中川清秀、佐久間盛政、柴田勝政など、合戦に関わる武将たちのクローズアップ画像も載っています。

賤ヶ岳の合戦は、勝家と秀吉の対立を決定づけた戦いです。勝家軍は一時攻勢に出ますが、最終的には秀吉軍によって崩れ、勝家は越前へ撤退しました。その後、北庄城に籠った勝家は、秀吉軍に攻められて自害します。

合戦図屏風の良さは、文章だけでは追いにくい人物や場面の配置を、画面の中で確認できることです。展示室では全体を見るだけで終わってしまうこともありますが、図録なら手元でページを開き、人物の位置や描かれ方を見返せます。

中川清秀、佐久間盛政、柴田勝政といった武将たちに注目できる点も、合戦好きにはうれしいところです。勝家と秀吉という大きな対立だけでなく、戦場で動いた武将たちの存在を図版で確認できます。

賤ヶ岳合戦絵図、賤ヶ岳七本槍図、錦絵なども収録されていて、賤ヶ岳の合戦を秀吉の勝利として知っている人でも、勝家側の動きや関係する武将を見ていくと、合戦の印象が変わります。

92点の図版と巻末資料一覧で展示資料を確認できる

本書には、図版92点が収録されています。全120頁、フルカラーで、図版を中心に読み進めるタイプの図録です。文章で細かく読み込む本というより、資料を見ながら勝家の生涯と越前支配を追っていく一冊です。

前回紹介した『天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―』と同じく、各図版の下に短い解説が添えられています。長い論文を読む図録ではありませんが、資料を確認しながら展示の流れを振り返るには読みやすい形です。

巻末の展示資料一覧には、資料名、員数、寸法、成立年代、所蔵がまとめられています。図版を見て気になった資料を一覧で確認できるため、展示の復習や調べものにも使いやすくなっています。

また、巻末には勝家ゆかりの史跡が2ページで紹介されています。北庄城跡や勝家に関わる場所を訪ねたい人にとって、読後の史跡巡りにつながる実用的なページです。

図録の詳細と読後の感想

図録情報

図録名 「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~
発行 福井県立歴史博物館
発行日 2023年7月29日
ページ数 120頁
価格 1,200円

図録 目次

ごあいさつ
一、越前入部までの動向
―織田家中筆頭重臣への道―
二、越前支配の実態
―勝家の統治力―
三、信長死後の動向
―勝家の忠義と秀吉の野望―
勝家ゆかりの史跡
展示資料一覧
主要参考文献一覧
協力者一覧

図録を読み終えて

『「鬼柴田」勝家の実像~武勇と統治に長けた忠義の臣~』は、柴田勝家を主役にした図録として貴重な一冊です。信長、秀吉、家康を扱う図録や本は多くありますが、勝家を中心に据えたものは限られます。そのため、勝家の肖像、座像、伝来品、書状、越前支配、北庄城、賤ヶ岳の合戦までを一冊で確認できる本書は、戦国史が好きな人にはありがたい内容です。

図版中心で、文章の解説は短めです。その分、資料を見ながら勝家の歩みを追いやすく、展示を観覧した人が記憶を整理する図録として読みやすくまとまっています。柴田勝家とお市の座像や肖像画、青井戸茶碗、太刀、勝家の書状など、人物を身近に感じられる資料が掲載されている点も印象に残りました。

第二章では、勝家の越前支配の実態を確認できます。北庄城は焼失しているため、当時の様子を伝える資料は多くありませんが、北庄城期と推測される瓦、壺、太刀などが掲載されており、限られた遺物から勝家の城と城下町を考えることができます。織田信長による越前国割や北庄城下の推定復元図もあり、読み物としても楽しめました。

第三章では、本能寺の変直後の勝家の動向が分かりやすく整理されています。6月3日に魚津城を攻略し、6日に本能寺の変を知って撤退を開始し、9日に北庄城へ帰還したという流れを、地図とあわせて確認できます。秀吉の中国大返しと比較しながら見ることで、勝家が置かれていた状況が見えやすくなります。

賤ケ岳合戦図屏風の左隻・右隻が掲載されている点も、この図録の大きな楽しみです。中川清秀、佐久間盛政、柴田勝政など、武将たちのクローズアップ画像もあり、合戦の場面を細部まで見返すことができます。

勝家は、秀吉に敗れた武将として語られることが多い人物です。しかし本書を読むと、勝家が織田家中の重臣として戦い、越前を治め、北庄城下を整え、信長死後も織田家への忠義を軸に動いた人物だったことが伝わってきます。

展示を観覧した人へ

展示で見た柴田勝家座像、お市の方座像、肖像画、書状、北庄城関連資料、賤ケ岳合戦図屏風を、帰宅後に整理するための図録として向いています。展示室では細部まで見きれなかった資料も、図録ならページを開いて確認できます。巻末の展示資料一覧で、資料名、員数、寸法、成立年代、所蔵を見返せる点も便利です。

展示を観覧していない人へ

柴田勝家に関するまとまった図録を探している人にすすめたい一冊です。勝家と秀吉、勝家とお市、越前支配、北庄城、賤ヶ岳の合戦を、図版を見ながら追うことができます。前回紹介した『天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―』とあわせて読むと、越前を舞台にした信長後の権力移行も理解しやすくなります。

おすすめしたいのは、次のような人です。

  1. 柴田勝家を主題にした図録を探している人
  2. 柴田勝家の肖像、座像、所用品、書状をまとめて見たい人
  3. 豊臣秀吉と柴田勝家の対立を整理したい人
  4. 北庄城や福井の戦国史を調べたい人
  5. 前回の『天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―』とあわせて読みたい人

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