過去3回にわたり、豊臣秀吉に関連する図録を紹介してきました。京都の都市改造、桃山文化、因幡の大名と豊臣政権を見てきた流れのなかで、今回は越前を舞台にした一冊を取り上げます。福井県立歴史博物館で開催された特別展「天下人の時代 ~信長・秀吉・家康と越前~」の図録です。本書は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という三人の天下人を、越前との関わりからたどる図録です。朝倉氏との攻防、賤ヶ岳の合戦、関ヶ原後の結城秀康入国まで、戦国から江戸へ向かう時代の変化を、合戦図屏風、肖像画、武具、書状、古文書などを通して読むことができます。
- 天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―
- 戦国時代の越前
- 図録の見どころ
- 信長と越前 朝倉氏との攻防を図版で追う
- 姉川合戦図屏風に描かれた武将たちの姿
- 秀吉と越前 賤ヶ岳の合戦から北庄城へ
- 個人蔵の豊臣秀吉木像
- 家康と越前 関ヶ原後の結城秀康と越前松平家
- 大坂夏の陣図屏風で越前勢と真田幸村を見る
- 明智光秀と越前朝倉家の薬・生蘇散を読む
- 図版92点と巻末資料一覧で展示資料を確認できる
- 図録の詳細と読後の感想
- 図録情報
- 図録 目次
- 図録を読み終えて

天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―
『天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―』は、128ページ、フルカラーで図版92点を収録した図録です。展示は時代の流れに沿って、一章「信長と越前」、二章「秀吉と越前」、三章「家康と越前」に分けられています。
越前という一つの地域を軸にすることで、信長の朝倉攻め、秀吉と柴田勝家の対立、家康による新たな秩序づくりがつながって見えてきます。天下統一の流れを全国史として読むだけでなく、越前の支配者がどのように変わり、その後の越前松平家へつながっていくのかを確認できるところが、本書の特徴です。
図版の下には短い解説文が添えられており、合戦図屏風や書状を見ながら内容を確認しやすくなっています。巻末の展示資料一覧には、資料名、員数、法量、年代、所蔵が整理されているため、展示を観覧した人の復習にも、戦国時代の越前を調べたい人の参照用にも使いやすい一冊です。
戦国時代の越前
戦国時代の越前を考えるうえで、まず押さえておきたいのが朝倉氏の存在です。朝倉氏は但馬国朝倉庄に出自をもつ武士で、南北朝時代に越前へ入りました。応仁の乱をきっかけに越前を治める戦国大名となり、以後、5代100余年にわたって越前を支配しました。
朝倉氏の本拠となったのが一乗谷です。一乗谷は、山に囲まれた谷あいに築かれた城下町で、朝倉館、武家屋敷、町屋、寺院、庭園などが並ぶ政治と生活の拠点でした。戦国大名の城下町というと、城を中心にした軍事拠点を思い浮かべがちですが、一乗谷は家臣や商工業者、寺院が集まる都市でもありました。越前の政治、流通、文化が集まる場所だったと考えると、朝倉氏がなぜ信長にとって無視できない相手だったのかが見えてきます。
永禄十一年(一五六八)、織田信長は足利義昭を奉じて上洛し、中央政治に大きく関わるようになります。その後、信長は周辺大名に上洛を求めますが、越前の朝倉義景はこれに応じませんでした。京都から見て越前は北方に位置し、近江や若狭、北陸方面ともつながる地域です。信長が畿内を押さえようとするなかで、朝倉氏の存在は軍事的にも政治的にも大きな意味を持っていました。
元亀元年(一五七〇)、信長は徳川家康と連合し、越前へ攻め込みます。しかし、同盟関係にあった浅井長政が信長に敵対したことで、信長はいったん撤退を余儀なくされました。その後、織田・徳川勢と浅井・朝倉勢が北近江で戦ったのが姉川の合戦です。姉川で敗れた後も、浅井・朝倉勢はすぐに滅亡したわけではありません。石山本願寺や武田信玄など、反信長勢力の動きと重なりながら、信長を苦しめ続けました。
天正元年(一五七三)、信長は朝倉氏を追い詰め、朝倉義景は一乗谷を離れて大野方面へ逃れます。しかし、一族の朝倉景鏡に背かれ、義景は自害しました。これにより朝倉氏は滅亡し、越前は信長の勢力下に入ります。その後、越前では信長家臣による支配や一向一揆の動きがあり、戦国期の激しい変化を経験することになりました。
信長の死後、越前は再び天下の行方と深く関わります。本能寺の変の後、北陸方面にいた柴田勝家と、中国地方から引き返して明智光秀を討った羽柴秀吉の対立が強まりました。天正十一年(一五八三)の賤ヶ岳の合戦では、羽柴秀吉が柴田勝家を破り、勝家は越前の北庄城へ退きます。やがて北庄城は包囲され、勝家は妻の市とともに自害しました。越前は、秀吉が織田家旧臣の中で優位を固めていく過程でも大きな舞台となったのです。
さらに秀吉没後の関ヶ原の合戦を経て、徳川家康の次男である結城秀康が越前六十八万石を与えられます。ここから越前松平家の歴史が始まり、越前は江戸時代の大名支配へ移っていきました。つまり越前は、朝倉氏の戦国大名支配、信長による制圧、秀吉の時代の支配再編、家康による徳川系大名の配置という流れを、一つの地域の中でたどることができる場所なのです。
図録の見どころ
信長と越前 朝倉氏との攻防を図版で追う
一章「信長と越前」では、姉川の合戦と朝倉氏の滅亡、信長家臣による越前支配、一向一揆の蜂起が扱われています。朝倉義景画像、浅井長政画像、姉川合戦図屏風、江州姉川合戦図、武具、書状などを通して、信長と朝倉氏の対立を確認できる内容です。
この章の読みどころは、朝倉氏が信長に敗れた勢力として片づけられていないところです。姉川の合戦で浅井・朝倉勢は敗れますが、その後も信長に敵対し続け、反信長勢力の一角として大きな役割を担いました。図録では、その流れを合戦図や関係資料とともに追うことができます。
書状の掲載も見逃せません。織田信長、滝川一益、明智光秀、柴田勝家など、信長政権と越前の関係を考えるうえで重要な人物の書状が紹介されています。文章だけで事件を追うのではなく、実際の古文書の図版を見ながら、越前支配の現場に近づけるところが図録の良さです。
姉川合戦図屏風に描かれた武将たちの姿
信長と朝倉氏の攻防を視覚的に確認できる資料として、姉川合戦図屏風があります。本書では、屏風全体を掲載するだけでなく、描かれている武将たちのクローズアップ画像も収録されています。短い解説文が添えられているため、合戦図をどこから見ればよいか迷いにくい構成です。
合戦図屏風は、遠くから全体を見ると軍勢の動きや場面の広がりがわかります。一方で、手元の図録では、人物の表情、甲冑、馬、旗印、場面ごとの配置を近い距離で確認できます。展示室では通り過ぎてしまった細部を、あとからゆっくり見返せる点は、図録を購入する大きな理由になります。
姉川の合戦は、信長・家康と浅井・朝倉がぶつかった戦いとして知られていますが、図版で見ると、武将たちがどのように描き分けられているのかにも目が向きます。戦いの結果だけでなく、後世にその合戦がどのようにイメージ化されたのかを考える入口にもなる章です。
秀吉と越前 賤ヶ岳の合戦から北庄城へ
二章「秀吉と越前」では、本能寺の変後の情勢、賤ヶ岳の合戦、柴田勝家の滅亡、秀吉時代の越前支配が中心になります。前回までの秀吉関連図録では、京都の都市改造、桃山文化、因幡の豊臣大名を見てきましたが、本書では越前を舞台に、秀吉が織田家旧臣の中で主導権を握っていく過程を読むことができます。
賤ヶ岳の合戦は、羽柴秀吉と柴田勝家の対立が軍事的に決着する戦いでした。図録には、賤ヶ岳合戦図屏風や賤ヶ岳之図、柴田勝家に関する図版が掲載されています。賤ヶ岳合戦図屏風については左隻と右隻の解説があり、場面ごとの見どころを確認しながら読み進められます。
この章で良いと感じたのは、秀吉だけでなく、越前をめぐる周辺の武将たちにも目が届くところです。羽柴秀吉禁制、丹羽長秀諸役免許状、堀秀政諸役免許状、青木一矩諸役免許状など、秀吉の時代に越前で所領や権限を与えられた人物に関わる資料が紹介されています。
個人蔵の豊臣秀吉木像
秀吉関連の図版で印象に残ったのが、豊臣秀吉木像です。秀吉の木像といえば、大阪城天守閣に収蔵されている木像を思い浮かべる人も多いと思います。本書に掲載されている豊臣秀吉木像は、展示資料一覧では「個人(大阪城天守閣寄託)」とされており、唐破風のついた厨子に収められています。
私はこの木像を本書で初めて見ました。像高17.7cmの小さな像ですが、大きな図版で見ることで、厨子に納められた姿や、信仰・顕彰の対象としての秀吉像にも意識が向きます。秀吉を政治家・武将としてだけでなく、後世にどのような姿で伝えられたのかを考えるきっかけになります。
家康と越前 関ヶ原後の結城秀康と越前松平家
三章「家康と越前」では、関ヶ原の合戦と結城秀康の越前入国、越前松平家と大坂の陣が扱われています。秀吉没後の政治情勢から関ヶ原の合戦へ進み、その後、徳川家康の次男である結城秀康が越前へ入る流れを確認できます。
関ヶ原の合戦は、美濃の関ヶ原だけで完結する出来事ではありません。全国各地で東軍と西軍に分かれた動きがあり、越前にもその影響が及びました。図録では、関ヶ原合戦図屏風の右隻と左隻が解説され、戦いの場面を図版で追えるようになっています。
また、越前松平家へつながる資料もこの章の重要な読みどころです。結城秀康画像、結城秀康黒印状、「太刀 銘 江州住百国 秀康所持之」、刀 銘 越前国康継など、徳川の時代に越前がどのように位置づけられていくのかを考える資料が並びます。信長・秀吉・家康の流れを、最後に越前松平家へ接続して読めます。
大坂夏の陣図屏風で越前勢と真田幸村を見る
家康と越前の章では、大坂の陣に関する資料も紹介されています。大坂夏の陣図屏風の右隻が掲載され、越前勢を率いた松平忠直と真田幸村について解説されています。
大坂の陣は、豊臣家の滅亡と徳川政権の安定へつながる戦いです。本書では、その大きな出来事を越前勢の動きから見ることができます。松平忠直は結城秀康の子であり、越前松平家の人物です。関ヶ原後に越前へ入った結城秀康から、大坂の陣での松平忠直へとつながる流れを押さえると、家康の章がより読みやすくなります。
真田幸村に関する図版や解説もあるため、戦国末期の有名な武将に関心がある人にも手に取りやすい部分です。ただし本書の軸は、あくまで越前との関わりです。
明智光秀と越前朝倉家の薬・生蘇散を読む
巻末には、石川美咲氏による特別寄稿「明智光秀と越前朝倉家の薬・生蘇散」が収録されています。6ページにわたる読みものとして、合戦や支配の話とは違う角度から、明智光秀と越前朝倉家の関係に触れられる部分です。
この寄稿で扱われるのは、近年注目された医学書『針薬方』と、そこに見える朝倉家の薬「生蘇散」です。図録では、明智光秀が口伝した医術、傷に用いる付薬、朝倉家に関わる薬の伝承などが取り上げられています。戦国武将というと合戦や政治の印象が強くなりますが、医術や薬の知識から光秀を見る視点は、本文の章とは違う読み応えがあります。
図録全体は、信長・秀吉・家康と越前を大きな流れで追う内容です。その最後に、生蘇散という具体的なテーマを扱う寄稿が入ることで、越前朝倉家の文化的な広がりにも目が向きます。合戦図屏風や書状を見たあとに読むと、戦国時代の人々が負傷、医療、知識の伝達とどのように向き合っていたのかを考えることができます。
図版92点と巻末資料一覧で展示資料を確認できる
本書には図版92点が収録されています。肖像画、合戦図屏風、武具、書状、古文書、絵巻、陣図など、資料の種類が幅広く、信長・秀吉・家康の三章を通して見ても飽きにくい内容です。
各ページに掲載された図版の下には解説文があり、資料を見ながら要点を確認できます。専門的な古文書や屏風図も、何を見ればよいのかがわかると、ぐっと読みやすくなります。展示室で見た資料をもう一度確認したい人にとって、この図版下の解説は使いやすい案内役になります。
巻末の展示資料一覧も便利です。資料名、員数、法量、年代、所蔵がまとめられているため、気になった資料をあとから確認できます。
図録の詳細と読後の感想
図録情報
| 図録名 | 天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前― |
|---|---|
| 発行 | 福井県立歴史博物館 |
| 発行日 | 2020年7月18日 |
| ページ数 | 128頁 |
| 価格 | 1,200円 |
図録 目次
図録を読み終えて
『天下人の時代―信長・秀吉・家康と越前―』は、信長・秀吉・家康を越前から読み直す図録です。三人の天下人を扱いながら、全国史に広げすぎず、越前との関わりに絞っているため、章ごとの流れが追いやすくなっています。
信長の章では、朝倉氏との攻防と姉川の合戦に関する図版が中心です。姉川合戦図屏風に描かれた武将たちのクローズアップ画像があり、短い解説文とともに見返せる点が良かったです。織田信長、滝川一益、明智光秀、柴田勝家などの書状も掲載されており、信長政権と越前の関係を資料から確認できます。
秀吉の章では、賤ヶ岳の合戦と柴田勝家に関する図版が中心になります。賤ヶ岳合戦図屏風の左隻と右隻の解説があり、合戦の場面を紙面でたどれるのが魅力です。個人蔵の豊臣秀吉木像も印象に残りました。
家康の章では、結城秀康と越前松平家に関する情報が中心です。関ヶ原合戦図屏風の右隻と左隻、大坂夏の陣図屏風の右隻が掲載され、松平忠直や真田幸村にも触れられています。関ヶ原後の越前が、徳川の時代へどう組み込まれていくのかを確認できる章です。
会場で見た合戦図屏風、肖像画、武具、書状をもう一度確認したい人に向いています。とくに姉川合戦図屏風、賤ヶ岳合戦図屏風、関ヶ原合戦図屏風は、展示室で全体を見たあと、図録で細部を見返すことで印象が深まります。図版下の解説もあるため、展示中に読み切れなかった情報を補う復習用として使いやすい一冊です。
展示を見ていない人にとっても、戦国時代の越前を信長・秀吉・家康の流れで知る入門になります。朝倉氏、柴田勝家、結城秀康、越前松平家に関心がある人なら、章立てに沿って読み進めるだけで、越前をめぐる支配の変化を追うことができます。合戦図屏風や書状の図版も多く、文章だけではつかみにくい戦国史の動きを視覚的に確認できます。
おすすめしたいのは、次のような人です。
- 戦国時代の越前を信長・秀吉・家康の流れで知りたい人
- 朝倉氏、柴田勝家、結城秀康、越前松平家に関心がある人
- 姉川合戦図屏風、賤ヶ岳合戦図屏風、関ヶ原合戦図屏風を図録で見たい人
- 戦国武将の書状や古文書を図版で確認したい人
- 明智光秀と越前朝倉家の薬・生蘇散に関心がある人

