東京国立博物館・奈良国立博物館で開催された特別展「遣唐使と唐の美術」の展示図録について、概要を知ってから購入したい方へ。遣唐使が唐から持ち帰った文化の輪郭をたどりながら、井真成の墓誌、唐三彩、陶俑など注目ポイントを読後の感想つきで紹介します。
- 遣唐使と唐の美術
- 遣唐使を派遣した目的は?
- 図録の見どころ
- 井真成の墓誌
- 唐時代の美術品の特徴
- 唐三彩
- 陶俑
- 図録情報
- 図録 目次
- 図録を読み終えて

遣唐使と唐の美術
今回紹介する図録は2005年に東京国立博物館および奈良国立博物館で開催された特別展「遣唐使と唐の美術」の内容を収録した一冊です。遣唐使は7世紀前半から9世紀にかけて派遣され、およそ20回の任命のうち16回(回数には諸説あり)が実際に渡海したとされます。彼らの命がけの航海と活動により、政治や経済をはじめ宗教、思想、技術といった多岐にわたる文物が日本にもたらされ、古代日本の国家形成における重要な礎が築かれました。遣唐使たちが実際に目にしたであろう唐文化の精華や、日本が範とした唐代美術の優品が数多く掲載されており、当時のダイナミックな国際交流の様相を視覚的に追体験できる内容となっています。20年という時を経ても色褪せない、日中文化交流の原点に迫る資料性の高い一冊と言えるでしょう。
遣唐使を派遣した目的は?
当時の航海技術では生還が危ぶまれるほどの危険を冒してまで朝廷が遣唐使を派遣し続けた背景には、新興国であった日本を早急に強固な国家へと成長させるという明確な意図がありました。その最大の目的は当時世界帝国として繁栄していた唐の法体系や社会制度を導入し、天皇を中心とする中央集権的な律令国家の体制を整えることでした。
同時に東アジアの国際秩序の中で日本が独立した文明国であることを示し、対外的な地位を確立するという外交上の必要性もありました。
留学生や学問僧を通じて最先端の仏教や学問、技術を吸収することは、国内の文化水準を高め支配体制の精神的な支柱を強固にするために不可欠で、遣唐使は政治、外交、文化のあらゆる面において、日本の国としての礎を築くための壮大な国家プロジェクトだったのです。
図録の見どころ
井真成の墓誌
この展覧会と図録の大きな見どころのひとつが、開催前年の2004年に中国・西安市(かつての長安)で発見された「井真成(せいしんせい)」の墓誌が公開された点です。
墓誌によれば、井真成は734年に長安で36歳で亡くなり、死後に玄宗から尚衣奉御を追贈されたとされます。一方で、日本の史書には名前が見えず、どのような経緯で唐に渡り、どんな立場で生涯を送ったのかは、なお謎の多い人物です。
この墓誌の歴史的意義は、「日本」という国号が刻まれた現存最古級の石刻資料であることにあります。さらに、後世の編纂史料とは異なり、同時代の空気や、唐側の扱いを直接伝える一次資料として、日中交流の実像や個人のドラマを考えるうえでも非常に価値が高いといえるでしょう。
図録には、井真成墓誌の拓本と日本語訳をはじめ、人物像や墓の解説が収録されています。巻末の論考「井真成の墓誌と天平の遣唐使」「奈良時代を身近にした井真成の登場」では、井真成と墓誌の意味がより深く掘り下げられています。
唐時代の美術品の特徴
唐代の工芸品を語るうえで欠かせないのが、その圧倒的な「国際色」です。シルクロードを通じて長安に流れ込んだ西方の文化は、唐の職人たちの手で洗練され、華麗な造形として結実しました。なかでも象徴的なのが「唐三彩(とうさんさい)」でしょう。
白・緑・褐色などの釉薬が溶け合い、独特の絢爛さを放つ唐三彩は、多くが墓に納める副葬品として作られました。器だけでなく、駱駝や西域の人々をかたどった俑(よう)も多く見られます。作品を眺めていると、当時の都に集まった多様な人々の気配まで伝わってくるようです。
金属工芸も見逃せません。ササン朝ペルシアの影響を受けた金銀器には、精緻な植物文様が施され、金属を裏から打ち出す技法なども巧みに用いられています。織物の分野では、複雑な模様を織り出す「緯錦(ぬきにしき)」が発達し、連珠文のようなエキゾチックな意匠が好まれました。
こうした唐代の美術・工芸は、日本の正倉院宝物とも深くつながっています。海を越えて行き来した美の交流の濃密さが、作品そのものから伝わってくるのです。
図録には金銀を用いた美術品・工芸品も数多く収録されています。拡大写真では文様の細部まで確認でき、当時の技術力の高さを実感できます。
唐三彩
唐三彩(とうさんさい)とは、その名の通り「唐」の時代に作られた多色釉の陶器を指します。白・緑・褐色を中心とした三色の釉薬がよく使われることから、「三彩」と呼ばれるようになりました。
とはいえ、実際の作品は三色に限られるわけではありません。中には鮮やかな藍色が加わるものもあり、青の発色に用いられるコバルトは西方由来とされ、当時としては貴重な材料だったと考えられています。
唐三彩は低温で焼かれるため、窯の中で釉薬が溶け合い、独特の滲みや垂れが生まれます。狙いどおりに制御しきれない偶然の表情が、作品に幻想的な奥行きを与えているのも魅力のひとつです。
図録には、表紙と裏表紙を飾る「三彩有蓋壺(さんさいゆうがいこ)」と「三彩貼花文有蓋壺(さんさいちょうかもんゆうがいこ)」をはじめ、洛陽博物館所蔵の唐三彩も掲載されています。
陶俑
陶俑(とうよう)とは、死者とともに墓に納められた「焼き物の人形」のことです。日本の埴輪(はにわ)に近い役割を持ちながらも、その写実性や表現の幅広さは、唐代美術の魅力を象徴する存在といえるでしょう。
唐代の陶俑は、副葬品としての役割だけに収まりません。当時の人々がどんな服をまとい、どんな動物と暮らし、どんな価値観を抱いていたのか。そうした生活の実像を、立体として伝えてくれる貴重な「歴史資料」でもあります。
陶俑には、これまで触れてきた唐三彩(釉薬をかけたもの)だけでなく、焼成後に顔料で彩色する「加彩(かさい)」の作品も多く見られます。加彩は絵の具で塗るため剥落しやすい反面、表情や化粧など細かな描写を加えやすいのが特徴です。
それに対して三彩は、釉薬によるガラス質のコーティングが施されるため、長い年月を経ても色彩が比較的残りやすいものがあります。ただし、釉薬は焼成時に溶けて流れるため、目元や口元の繊細な表情を描き分けるには不向きです。
そこでよく用いられたのが、「衣装は三彩で華やかに、顔は加彩でリアルに」という組み合わせです。図録に収録された陶俑にも、顔の彩色が落ちている例が見られますが、三彩と加彩の違いを知っていると、作品の見方が一段深まるはずです。
図録情報
| 図録名 | 遣唐使と唐の美術 |
|---|---|
| 発行 | 朝日新聞社 |
| 発行日 | 2005年7月20日 |
| ページ数 | 149ページ |
図録 目次
図録を読み終えて
今回ご紹介した特別展「遣唐使と唐の美術」の展示図録には、唐の時代に制作された美術品・工芸品が多数収録されています。金銀器や唐三彩の華やかさはもちろん、どの作品からも造形の確かさと、細部まで行き届いた精緻な技法が伝わってきます。
千年以上前、命がけで海を渡った遣唐使たちは、異国の地でこれらの品々を目にして何を感じたのでしょうか。街を行き交う人々の姿、陶俑に表された多様な表情。彫りの深い西域の人々、背の高いラクダ、見たこともない楽器や衣装...。そうした一つひとつが、長安という都市のスケールと熱気を物語っています。
長安は、東の果ての島国から見れば、比べものにならないほど巨大な「世界」とつながる国際都市でした。その現実を前に、圧倒される思いと、視界が一気に開けるような高揚感が同時に押し寄せたとしても不思議ではありません。
そして彼らは、そこで見た煌(きら)めきを、知識や技術とともに日本へ持ち帰ろうとしたはずです。正倉院に残る宝物や、それを手本として日本で生み出された奈良三彩の数々は、唐の文化に触れた人々が抱いた憧れと意志を、今に伝える確かな証しだと感じました。

