埼玉県立歴史と民俗の博物館の特別展「お伊勢さんと武蔵」展示図録を読み、伊勢信仰が武蔵国でどう広がり、暮らしの中に根づいたのかをたどります。御装束神宝や大々神楽の見どころに加え、伊勢と武蔵を結ぶ資料の面白さも、読後の感想とともに紹介します。
- お伊勢さんとは?
- お陰参りと式年遷宮
- 図録の見どころ
- 御装束神宝
- 大々神楽
- 武蔵と伊勢のつながり
- 図録情報
- 図録 目次
- 図録を読み終えて

お伊勢さんとは?
お陰参りと式年遷宮
本書は、平成25年(2013年)に行われた第62回式年遷宮を前に、平成19年(2007年)秋、埼玉県立歴史と民俗の博物館にて開催された特別展「お伊勢さんと武蔵」の公式図録です。伊勢神宮の解説にとどまらず、「伊勢信仰が武蔵国(現在の埼玉県や東京都など)にどのように伝播し、受容されたか」という地域史的な視点から構成された一冊となっています。
お伊勢さんとは、三重県伊勢市にある伊勢神宮の通称です。正式名称は「神宮」と言いますが、他の神社と区別するために伊勢神宮と呼ばれています。ここは一般的な観光名所にとどまらず、日本の歴史や文化において別格の存在です。主な特徴は以下の3点です。
(1)神道における位置づけ。伊勢神宮は全国に約8万社ある神社の中心的な存在とされています。ここに祀られているのは天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。日本神話において太陽を象徴する神様であり、皇室の祖先神、そして日本国民全体の守り神である総氏神として最も尊い存在とされています。
(2)歴史的な背景。江戸時代には「お陰参り(おかげまいり)」と呼ばれる集団参拝が大流行しました。当時は移動が厳しく制限されていましたが、伊勢への参拝だけは例外的に許されており、庶民にとって一生に一度の夢でした。数百万人が移動したという記録もあり、これが日本の旅文化の原点とも言われています。
(3)文化遺産としての特殊性。伊勢神宮では「式年遷宮(しきねんせんぐう)」という儀式が約1300年前から行われています。これは20年に一度、社殿をすべて新しく建て替えて神様に引っ越していただく行事です。建物を作り直すことで、古代の建築技術や伝統を風化させることなく、そのままの形で現代へ継承し続けています。
お伊勢さんとは、日本の精神的な支柱であり、古代の技術と伝統を今に伝えるタイムカプセルのような場所と言えます。
図録の見どころ
御装束神宝
御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)とは、伊勢神宮で20年に一度行われる式年遷宮の際、神様の新しい社殿と共に新調される衣服や調度品の総称です。
神様が新しい住まいに引っ越しをするにあたり、身につける衣服や日常生活で使う道具もすべて新しくするという考えに基づいています。これらは大きく分けて、神様の衣服である「御装束」と、神様の身の回りの道具である「神宝」の2つから成ります。
御装束には、最高級の絹織物などが用いられます。神宝には、紡績用具、武具、馬具、楽器、文房具、そして鏡や太刀などが含まれます。その種類は714種、点数にして1576点にも及びます。
これらは美術品として鑑賞するために作られるのではなく、あくまで神様にお使いいただく実用品として製作されます。しかし、その製作には日本最高峰の技術が注ぎ込まれています。染織、漆芸、金工、木工など、各分野を代表する工芸家たちが、平安時代から続く伝統的な技法を用いて製作します。
式年遷宮は建物を新しくするだけでなく、こうした工芸技術を次の世代へ継承する役割も果たしています。古い御装束神宝は、神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)などの博物館で展示されることもあり、過去の技術と現在の技術を比較する貴重な資料となっています。
図録には太刀や鏡、衣装など15点の御装束神宝が収録されています。特に最初に紹介されている玉纏御太刀(たままきのおんたち)の装飾は見事で、細部まで丁寧に作り込まれていることがわかります。御鏡(みかがみ)と黒葦毛御彫馬(くろあしげのおんえりうま)は、図録の表紙になっています。
大々神楽
江戸時代における大々神楽(だいだいかぐら)は、伊勢神宮への参拝者を案内し世話をした「御師(おんし)」と呼ばれる人々が、自身の屋敷で執り行った大規模な祈祷行事を指します。現代の伊勢神宮で行われている厳格な神楽とは、形態や雰囲気が少し異なっていました。
当時の大々神楽は、神宮の境内ではなく、参拝者が宿泊する御師の広大な屋敷内にある神殿で行われました。御師は宿泊や観光案内だけでなく、こうした宗教儀礼もセットで提供していました。
大々神楽は、神様に捧げる神聖な儀式であることは間違いありませんが、同時に長旅をしてきた参拝者をもてなす宴会としての側面も強く持っていました。湯立(ゆだて)と呼ばれる釜で湯を沸かす清めの儀式を中心に、華やかな衣装を着た女性による舞や、演劇的な要素の強い踊りが長時間にわたって披露されました。
そして、大々神楽には一種のステータスシンボルとしての側面がありました。大々神楽をあげるには多額の費用が必要で、依頼できることは経済力の証明であり、また講(こう)と呼ばれる村の代表として来た者にとっては、故郷で待つ人々への立派なお土産話となりました。大々神楽をあげると授与される巨大な「おふだ(大麻)」や独特の装飾が施されたお守りは、非常にありがたいものとされていました。
このように、江戸時代の大々神楽は、信仰と娯楽、そして経済活動が一体となった、伊勢参りのハイライトとも言える豪華なイベントでした。
大々神楽の他にも、鳥名子舞(となごまい)、伊勢音頭、伊勢歌舞伎など、伊勢では様々な祭礼が行われていました。図録ではこれら祭礼を取り上げ、豊富な資料を用いて解説しています。
武蔵と伊勢のつながり
江戸時代、伊勢から遠く離れた江戸の地で、お伊勢参りが一大ブームになりました。なぜ江戸の庶民は伊勢を目指したのでしょうか?図録では、山田奉行、御師、伊勢参宮名所図会、伊勢道中細見記、伊勢道中記、神明社、国学者など...現存する資料や関係人物から、伊勢と武蔵国のつながりを確認していきます。
個人的には「東海道中膝栗毛」が好きなので、歌川広重の「伊勢参宮膝くりげ道中寿語録(いせさんぐうひざくりげどうちゅうすごろく)」が気になりました。これは当時大ベストセラーとなっていた十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』を題材にした「絵双六(えすごろく)」です。
主役である弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)の二人が、江戸の日本橋を振り出しとして出発し、東海道の宿場町を経て、上がりの伊勢神宮を目指すという構成になっています。盤面には広重ならではの筆致で各地の名所や風景、そして旅の道中で起こるコミカルな騒動が描かれています。
ゲームとして遊ぶ楽しさと、ガイドブックとしての実用性を兼ね備えていたと考えられ、実際に旅に出ることが難しかった女性や子供たちにとって、この双六を遊ぶことは「居ながらにして伊勢参りを楽しむ」という擬似的な旅行体験そのものだったのでしょう。
図録情報
| 図録名 | お伊勢さんと武蔵 |
|---|---|
| 発行 | 社団法人 霞会館 |
| 発行日 | 平成19年10月 |
| ページ数 | 186ページ |
図録 目次
図録を読み終えて
江戸時代の庶民は、伊勢参りをするために同じ地域に住む人々が少しずつお金を出し合い、旅費を積み立てる「伊勢講(いせこう)」という相互扶助のシステムを作りました。「くじ引き」で選ばれた少数の代表者のみが、その年の参拝者として旅立つ仕組みです。
一方、くじに外れて村に残った人々は、代表者に餞別(せんべつ)を渡して送り出しました。そして代表者が持ち帰るお札や、伊勢の特産品などの「宮土産(みやみやげ)」を受け取ることで、自分たちも間接的に参拝したのと同じご利益が得られると考えられていました。一生に一度行けるかどうかは運次第という側面も強かったようです。
「伊勢参宮膝くりげ道中寿語録」のところで、「実際に旅に出ることが難しかった女性や子供たち~」という説明をしましたが、実は、抜け参り(ぬけまいり)というものがあり、親や主人に黙って伊勢参りをする女性や子どももいたそうです。このあたりの話も面白かったです。
今回ご紹介した「お伊勢さんと武蔵」の図録は、すでに販売が終了しています。埼玉県立歴史と民俗の博物館では購入できませんが、中古で入手することは可能です。写真や図版、資料が豊富で解説もわかりやすいので、興味を持たれた方はぜひ手に取ってみてください。

