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        <title>JUNK-WORD.COM(ジャンクワードドットコム)</title>
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        <description>JUNK-WORD.COM(ジャンクワードドットコム)は、暮らし、生活に役立つ情報を集めたインターネット百科事典です。話題の人物や人気商品、上昇キーワードの他、知っていると役に立つ豆知識や雑学、ちょっと笑える話しやマニアックなネタも紹介しています。みなさんのお役に立つ情報ポータルサイト！！それがJUNK-WORD.COM(ジャンクワードドットコム)です。</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2012</copyright>
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            <title>源義朝</title>
            <description><![CDATA[<p>源義朝は1123年清和源氏（河内源氏）の棟梁源為義の嫡男として誕生します。母は中～下級貴族藤原忠清の娘で、終生のライバルとなる平清盛より5歳年下ということになります。</p>

<p><br />
義朝には異母弟が相当数いたらしく知られている人物といえば為朝と行家があげられます。為朝は為義の八男で鎮西八郎とも呼ばれた弓の名手です。身長2メートルという立派な体躯から放たれる強弓は鎧武者二人を射通したと伝えられています。</p>

<p><br />
行家は為義の十男で以仁王が挙兵した際、令旨を携え各地の源氏に蜂起を促した人物です。</p>

<p><br />
義朝が生まれた当時の源氏は平氏におされて凋落していました。その原因となったのが義朝の祖父義親の反乱です。</p>

<p><br />
九州にいた義親は乱暴狼藉をはたらいた上に官吏まで殺害！さらに出雲国の目代までも殺害したため白河上皇によって派遣された平正盛によって討伐されてしまったのです。この平正盛が清盛の祖父であり、伊勢平氏が政治の世界に進出するきっかけとなりました。</p>

<p><br />
幼くして東国に下向した義朝はこの地で源氏の勢力回復に努め独自の行動をとります。上総氏、三浦氏、大庭氏などの支援を受け鎌倉の亀ヶ谷に居を構え南関東一帯に勢力を拡大すると、再び京に戻り中央での巻き返しをはかります。</p>

<p><br />
1153年には従五位下 下野守に昇進し、保元の乱では後白河天皇方につき勝利を収めます。命により敵方についた父 為義を斬り忠誠をつくした義朝ですが、その見返りとして与えられた恩賞は左馬頭のみでした。</p>

<p><br />
同じく後白河天皇方についた平清盛には要職である播磨守と太宰大弐が与えられその差は歴然としていたのです。</p>

<p><br />
後白河上皇と院の近臣である藤原信西に不信感を持った義朝は藤原信頼と謀り、清盛が熊野に参詣する隙を狙い挙兵します（平治の乱）</p>

<p><br />
御所を急襲して後白河上皇を幽閉するとともに、藤原信西を追い詰め自害させるのです。しかし、知らせを受けた清盛が体勢を立て直し反撃を開始すると義朝方には離反者が相次ぎ、東国へ落ち延びる途中側近である鎌田正清の舅 長田忠致の裏切りにあい自害して果てます。享年38歳。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 05 Feb 2012 06:35:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>上皇と法皇の違いとは？</title>
            <description><![CDATA[<p>譲位した天皇のことを上皇、出家した上皇のことを法皇と呼びます。</p>

<p><br />
天皇は譲位すると「仙洞」または「院」と呼ばれる御所に移ることから上皇や法皇のことを「仙洞」もしくは「院」と呼ぶこともあります。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">大河ドラマ平清盛　源氏と平氏　雑学・豆知識</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 03 Feb 2012 20:00:58 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昇殿とは？</title>
            <description><![CDATA[<p>平安時代中期以降 天皇の御殿は清涼殿に定着し、近臣が職務を行うには清涼殿の南庇(ひさし)にある「殿上の間」に昇る必要がありました。</p>

<p><br />
この「殿上の間」に昇ることが許されることを昇殿といいます。</p>

<p><br />
武家で初めて昇殿を許されたのは武勇名高い源義家（八幡太郎義家）でしたが、義家は院の昇殿を許されただけなのに対し清盛の父忠盛と清盛は内裏への昇殿を許されます。</p>

<p><br />
低い身分であった武家が内裏への昇殿を許されたことは驚くべきことでいかに忠盛が鳥羽上皇から信頼されていたかがわかります。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">大河ドラマ平清盛　源氏と平氏　雑学・豆知識</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 03:10:45 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>源氏とは（源氏の系図）</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="清和源氏系図" src="http://www.junk-word.com/img/seiwagenji-keizu.jpg" width="460" height="568" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><br />
源氏と呼ばれる一族には、清和源氏、村上源氏、宇多源氏の系統がありますが、一番繁栄したのは清和源氏です。</p>

<p><br />
清和源氏は名称からわかる通り、清和天皇（異説あり）を祖とする一族で清和天皇の皇子である貞純親王の子経基が源姓を賜ったことが始まりです。</p>

<p><br />
経基の子満仲、その子である頼光と頼信のときに機内で勢力を拡大し、頼信が平忠常の乱を平定し関東進出の足がかりとします。</p>

<p><br />
頼信の子頼義、その子義家は前九年・後三年の役を鎮圧して東国武士団の信頼を得るようになり、義家の系統から足利氏、新田氏、武田氏、佐竹氏が力をつけ東国に確固たる勢力をもつようになります。</p>

<p><br />
義家の名が高まり、源氏の東国基盤が強固なものになることを恐れた朝廷はしだいに平氏を重用することになります。</p>

<p><br />
義家の子である義親が乱を起こし平正盛に討伐され、義親の子為義とその子義朝が保元・平治の乱で討死すると源氏勢力は衰退し代わって平正盛の子忠盛とその子清盛の時代に平氏が隆盛を迎えることになります。</p>

<p><br />
義朝の死で没落した源氏ですが、義朝の子頼朝が東国武士団の力を結集させ平氏を滅ぼすと、鎌倉に幕府を開き武士の政権を樹立するのです。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">大河ドラマ平清盛　源氏と平氏　雑学・豆知識</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 27 Jan 2012 01:36:13 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>殿上闇討ち事件</title>
            <description><![CDATA[<p>武家として初めて内裏への昇殿（源義家は院の昇殿）を許された平忠盛ですが、その異例の出世を妬む公家たちの標的にされます。</p>

<p><br />
当時の貴族社会では、新たに昇殿を許された新参者に対してイタズラや嫌がらせをする風習がありました。大嘗祭、新嘗祭の際に開かれる豊明節会（とよのあかりのせちえ）と呼ばれる宴席でこれらの嫌がらせが行われたらしく、古参の公家たちは忠盛に恥辱を与えようと準備をしていたのです。</p>

<p><br />
情報を事前につかんでいた忠盛は豊明節会に木刀を差し、さらに家臣 平家貞を庭に待機させて公家たちを牽制しました。木刀を本物の刀だと勘違いした公家たちは忠盛に何もできず計画は実行されませんでした。</p>

<p><br />
腹の虫がおさまらない公家たちは後日　豊明節会に帯刀して参加したことを問題にして官位の剥奪を鳥羽上皇に訴えますが、腰に差していたのは木刀で本物の刀は事前に朝廷内に預けていたことが判明します。</p>

<p><br />
鳥羽上皇は忠盛の用意周到さを称え罰することはありませんでした。</p>]]></description>
            <link>http://www.junk-word.com/taiga-drama/kiyomori/001620.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 26 Jan 2012 04:39:43 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>平氏とは？　平氏系図（平清盛系図）</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="平氏系図・平清盛系図" src="http://www.junk-word.com/img/heishi-keizu.jpg" width="442" height="472" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p><br />
平氏と呼ばれる一族には４系統（桓武、文徳、仁明、光孝）ありますが、その中で活躍したのが桓武平氏です。</p>

<p><br />
桓武天皇の子、葛原親王が平姓を賜り、葛原親王の孫である高望王が上総介に就任すると、東国の豪族と結びつきを強めます。</p>

<p><br />
東国の土着豪族は天皇の血をひく平氏と婚姻関係を持つことで、中央政権とのつながりを保とうとしたのです。</p>

<p><br />
これらの土着豪族が千葉氏、三浦氏、土肥氏、秩父氏、大庭氏、北条氏であり、彼らは坂東平氏と呼ばれるようになりました。</p>

<p><br />
坂東平氏の系統である平将門、平忠常が反乱を起こし鎮圧されると次第に坂東平氏は衰退し、代わりに同じ高望王の系統（桓武平氏）で伊勢で勢力をもつ伊勢平氏が台頭してきます。</p>

<p><br />
この伊勢平氏の中から平清盛がでてくるのです。<br />
</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">大河ドラマ平清盛　源氏と平氏　雑学・豆知識</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 01:14:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>藤原家成</title>
            <description><![CDATA[<p>藤原家成は藤原家保の三男として1107年に誕生しました。家成の家系は「諸大夫の家」と呼ばれる中～下級貴族でしたが、祖父藤原顕季が白河上皇の側近となり正三位・修理大夫に昇進します。</p>

<p><br />
父 家保も白河上皇の信頼を得て従三位参議にまで出世し、家成もまた主要な国の受領を歴任して豊富な資金力で鳥羽院政を支えました。</p>

<p><br />
ちなみに「諸大夫の家」とは四位までしか昇進出来ない身分の低い貴族の家を指した言葉です。</p>

<p><br />
鳥羽上皇の信任厚く第一の側近として重きをなし、摂関家からも一目置かれるほどの存在となった家成ですが、平清盛の継母である池禅尼とはいとこ（池禅尼の父藤原宗兼と家成の母藤原隆子は兄弟）であることから、池禅尼は清盛を出世させるために家成の邸宅に出入りさせます。</p>

<p><br />
清盛は嫡男家重の正妻に家成の娘を迎え結びつきを強めます。清盛が異例の出世をとげた背景には家成の助力があったことが推測できます。</p>

<p><br />
家成は1154年に病没しますが、平家滅亡後も家成の家系は四条家として存続します。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 20 Jan 2012 01:29:06 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>平清盛の兄弟</title>
            <description><![CDATA[<p>平清盛を産んだ母は出産後数年で病没したため清盛には母を同じくする兄弟がいません。</p>

<p><br />
父 忠盛が他の女性に産ませた男子のうち知られているのは池禅尼の子である家盛と頼盛、藤原家隆の娘を母に持つ教盛、藤原為忠の娘を母に持つ忠度、源信雅の娘を母に持つ経盛です。</p>

<p><br />
経盛の子供が笛の名手で一ノ谷の戦いで熊谷次郎直実に討たれた敦盛です。妹も何人かいたようですが詳しい記録が残っていません。</p>

<p><br />
池禅尼の子である家盛は家督相続で清盛の最大のライバルでしたが若くして病没してしまいます。家盛の弟 頼盛は年齢が離れていたため忠盛の後継者候補にはなれず、家盛の死によって清盛の家督相続が確実になりました。</p>

<p><br />
平家の中にあって清盛、重盛に次ぐ存在であった頼盛ですが、平家の都落ちに帯同せず独自の行動をとり鎌倉で頼朝と対面します。頼朝は自分の命を救ってくれた池禅尼の子である頼盛を優遇して朝廷とのつなぎ役とします。</p>

<p></p>

<p>結束力の強い清盛の一族にあって源氏方について生き延びた頼盛ですが、平家滅亡後は出家して政治の世界から引退し５４歳で病没したと伝えられています。</p>

<p><br />
忠度は一ノ谷の戦いで討死、教盛と経盛は壇ノ浦で入水して果てました。</p>]]></description>
            <link>http://www.junk-word.com/taiga-drama/kiyomori/001614.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 18 Jan 2012 03:28:52 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>平清盛を育てた池禅尼（いけのぜんに）</title>
            <description><![CDATA[<p>平清盛の母については詳しく記されている史料がなく清盛を生んで間もなく病没してしまったとされています。幼い清盛を育てたのは藤原宗兼の娘で忠盛の後妻となった藤原宗子（池禅尼）でした。</p>

<p><br />
藤原宗子は忠盛との間に家盛、頼盛をもうけ、忠盛が亡くなった後に京都の六波羅にある池殿に住んだことから池禅尼（いけのぜんに）と呼ばれるようになります。</p>

<p><br />
池禅尼といえば平治の乱で捕らえられた源頼朝の助命を嘆願した人物として知られています。結果として頼朝の命を救ったことで平家が滅亡してしまうのですが、清盛の出世には池禅尼の人脈も大きく貢献していたようです。</p>

<p><br />
池禅尼のいとこに当時の実力者藤原家成という人物がいました。藤原家成は鳥羽上皇の院の近臣として大きな力を持っていたため、池禅尼は藤原家成の邸宅に清盛を出入りさせ両者の結びつきを強めたとされています。</p>

<p><br />
忠盛の後妻として平家の繁栄に貢献した池禅尼ですが、いつごろ没したかは不明です。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 16 Jan 2012 01:47:10 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>グランドキャニオンバーガーが全国発売になりました！</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="グランドキャニオンバーガー" src="http://www.junk-word.com/img/grand-canyon.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>グランドキャニオンバーガーが全国発売になりましたね！美味しくてすでに２個食べてます（笑）　３段バンズと厚めのビーフにエッグが入った迫力満点のハンバーガーです。</p>

<p><br />
味の決め手となるステーキソースもパンチがあり、マスタードソースと混ざり合って絶妙のハーモニーを奏でます！チーズも２種類使用しているそうでコクがありますね！</p>

<p><br />
ボリュームがあるのでグランドキャニオンバーガーひとつで十分満足します。セットを頼むと女性はキツイかも・・・</p>]]></description>
            <link>http://www.junk-word.com/junk-food/001610.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ジャンクフード大好き！</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 15 Jan 2012 05:21:09 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>白河上皇と院政</title>
            <description><![CDATA[<p>平安時代は天皇を中心とする貴族が政治を行っていました。貴族の中でも藤原氏は天皇の外戚として巨大な権力を持っていました。</p>

<p><br />
外戚とは、自らの娘を天皇の女御とし、生まれた子供を天皇にするシステムのことです。藤原氏は代々この外戚になることで政治力を保持してきたのです。</p>

<p><br />
白河天皇は藤原氏の影響力を抑えるため幼い堀河天皇に皇位を譲り自らは上皇となり天皇を補佐する仕組みをつくりあげました。これが院政です。</p>

<p><br />
白河上皇は政務をつかさどる院庁を設立します。院庁で働く役人を院の近臣と呼び彼らが発行する院宣が政治を動かすようになります。</p>

<p><br />
上皇は日本各地に広大な知行国や荘園を領していました。これら領地の管理や役人の身辺を警護させるために北面の武士を採用し武家を傭兵として雇ったのです。清盛の祖父正盛がこの北面の武士となったことで伊勢平氏が政治の世界に踏み込むきっかけとなりました。</p>

<p><br />
これまで天皇と天皇の側近の公家（藤原氏）が政治を動かしていましたが、院政により院の近臣や武家の力が台頭し保元の乱、平治の乱を経て武家の時代へ移っていきます。</p>

<p><br />
院政のもとで白河上皇は４０年以上にわたり権力を握り、白河上皇崩御の後も鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇が院政を敷くことになります。</p>]]></description>
            <link>http://www.junk-word.com/taiga-drama/kiyomori/001608.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 14 Jan 2012 15:25:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>祇園女御（ぎおんのにょうご）とは？</title>
            <description><![CDATA[<p>祇園女御（ぎおんのにょうご）は、白河上皇の寵愛を受けた女性で生没年や出自は不明です。</p>

<p><br />
一部の資料には清盛の母、清盛の育ての親とするものもありますが、信用度は低いとされています。</p>

<p><br />
白河上皇の命令で清盛の父忠盛が身辺警護をしていたようで、その関係で清盛とも接点があったのかも知れません。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 14 Jan 2012 04:43:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>平清盛の父は白河上皇？</title>
            <description><![CDATA[<p>平清盛の父は忠盛ではなく白河上皇であるとする記述が一部の史料に存在します。</p>

<p><br />
実の父親はどちらなのか？本当のところはわかりませんが、忠盛が武士で始めて昇殿を許され異例の出世をしたことから嫉妬の対象となっていたのは事実のようです。</p>

<p><br />
さらに、清盛に至っては太政大臣にまで昇進し平氏一族は栄華を極めます。</p>

<p><br />
そのため、清盛は白河上皇の御落胤で忠盛が出世をするために清盛を貰いうけたと悪い噂を流す者もいたのではないでしょうか。</p>

<p><br />
信頼のおける当時の史料には清盛御落胤説に関する記述がまったく見られないことからも、清盛の父が白河上皇であるとする説に信憑性はないと考えられます。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 13 Jan 2012 01:29:11 +0900</pubDate>
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            <title>清盛の父 平忠盛</title>
            <description><![CDATA[<p>平忠盛は１０９６年伊勢平氏の棟梁である正盛の子として生まれます。父正盛が源義親の乱を鎮圧し白河上皇の信頼を得たように、忠盛も海賊を退治してその武名を上げます。</p>

<p><br />
忠盛は得長寿院を寄進し鳥羽上皇の信頼を得て昇殿を許されるまでになります。正四位上の位に昇進し播磨守、刑部卿に任命されます。</p>

<p><br />
また、忠盛は宋との貿易にも力を入れ財を蓄え、その豊富な資金力で忠盛の出世を妬む貴族たちを黙らせ、朝廷の中で存在感を増していくのです。</p>

<p><br />
父正盛とともに平氏繁栄の基礎を築いた忠盛は１１５３年５８歳で死去します。</p>]]></description>
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            <pubDate>Tue, 10 Jan 2012 03:00:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
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            <title>平清盛誕生</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="平清盛" src="http://www.junk-word.com/img/tairanokiyomori.jpg" width="209" height="272" class="mt-image-none" style="" /></span><br />
＊平清盛坐像</p>

<p>平清盛は1118年平忠盛の子として誕生します。清盛の一族は桓武平氏の系統に属し、伊勢で勢力を持っていたことから伊勢平氏と呼ばれました。</p>

<p><br />
清盛の誕生した当時は、天皇と貴族が国を治め清盛たち武家は皇室や貴族の身辺を警護する役を担っていましたが、当時の武士は傭兵的な存在であり身分がとても低かったのです。</p>

<p><br />
清盛の祖父正盛が白河上皇の身辺警護をする北面の武士に任命されます。八幡太郎義家の子である源義親が乱を起こすとこれを鎮圧し、上皇の信頼を得ることになり、さらに正盛の子忠盛も海賊退治で武名を上げ備前の守、但馬の守を歴任し昇殿を許されるまで出世をしたのです。</p>

<p><br />
忠盛の子である清盛は１２歳で従五位下となり、その後も従四位下、中務大輔と順調に昇進していきます。忠盛生存中は父の影に隠れこれといった活躍をしていない清盛ですが、忠盛が１１５３年に死去すると、３６歳で平家一門の棟梁となります。</p>

<p><br />
１１５６年保元の乱、１１５９年平治の乱において父から受継いだ才能をいかんなく発揮して、ライバルである源氏を追い落とし平氏全盛期を築いていくのです。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">平清盛の生涯</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 09 Jan 2012 04:32:25 +0900</pubDate>
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