崇徳天皇
*崇徳天皇 顕仁親王(崇徳天皇)は1119年鳥羽天皇と中宮藤原璋子(待賢門院)の間に生まれました。しかし、父親は鳥羽天皇ではなく白河院であるとする説が根強くあり、崇徳天皇に対
鳥羽天皇
*鳥羽天皇 鳥羽天皇は1103年 父堀河天皇と母藤原苡子の間に誕生しました。誕生して間もなく母 苡子が他界し、父 堀河天皇も1107年に崩御したため、わずか5歳で即位し74代
平経盛
平経盛は平忠盛の三男で母は源信雅の娘、母違いの兄に清盛、家盛、母違いの弟に教盛、頼盛、忠度がいる。子供は経正、経兼、広盛、経俊、経光、敦盛。清盛の弟としてよりも、敦盛の父として
平時忠 平氏にあらずんば、人にあらず
平時忠は中級貴族 平時信の嫡子として1127年に誕生しました。同じ母を持つ姉が清盛の妻となった平時子で、母違いの妹には後白河上皇の子(高倉天皇)を生んだ平滋子(建春門院)、母違
平頼盛(池大納言)
平頼盛は、平忠盛の五男で母は藤原宗子(池禅尼)、母を同じくする兄に家盛 母違いの兄弟に清盛、経盛、教盛、忠度がいる。 母の藤原宗子(池禅尼)は忠盛の継室であったため兄の家盛同様
平家盛
平家盛は、平忠盛の次男で母は藤原宗子(池禅尼)、母を同じくする弟に頼盛 母違いの兄弟に清盛、経盛、教盛、忠度がいる。 家盛の生まれた年については確かな史料が存在しないのですが、
祇園闘乱事件
1147年6月15日祇園社(八坂神社)で行われた奉納祈願に参加した平清盛は大願成就を祈り田楽を奉納します。清盛の家臣が武器を帯びたまま参詣しようとしたところを祇園社の神人に咎め
平時子(二位尼)
清盛の最初の妻は高階基章の娘でふたりの間には嫡子である重盛と次男基盛が生まれています。さらに清盛は同じ平家である平時子を妻に迎えます。 高階基章の娘が正室、平時子が継室というこ
源義朝
源義朝は1123年清和源氏(河内源氏)の棟梁源為義の嫡男として誕生します。母は中~下級貴族藤原忠清の娘で、終生のライバルとなる平清盛より5歳年下ということになります。 義朝には
殿上闇討ち事件
武家として初めて内裏への昇殿(源義家は院の昇殿)を許された平忠盛ですが、その異例の出世を妬む公家たちの標的にされます。 当時の貴族社会では、新たに昇殿を許された新参者に対してイ

