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管領の畠山家で家督を争い乱の引き金となった人物は?

室町幕府の管領である畠山家では、家督をめぐり二人の人物が対立します。応仁の乱の原因のひとつとなった家督争い起こした人物は誰でしょう?

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畠山義就(はたけやまよしなり)と畠山政長(はたけやままさなが)です。管領の畠山持国(はたけやまもちくに)は、弟の持富(もちとみ)を養子にして家督を譲るつもりでしたが、のちに気が変わり、身分の低い女性に産ませた義就を跡継ぎに指名しました。これに反発した持冨派が持冨の子政久を擁立したため家督争いとなります。政久が死去すると弟の政長が立ち、義就対政長の対立構図となり、応仁の乱へと発展!乱の終結後も争いを続け畠山家の支配力は低下しました。義就は1491年に病没、政長は1493年に自害しました。

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