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478年倭の王(雄略天皇)が宋の皇帝に送った文書は?

478年雄略天皇とされる倭の王が、宋の順帝(じゅんてい)に文書を送り称号を受けています。この文書は何と呼ばれているでしょう?

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倭王武の上表文(わおうぶのじょうひょうぶん)です。

478年倭王 武(雄略天皇)は南朝 宋の皇帝 順帝に文書を送り朝貢したことが「宋書」倭国伝に記されています。

「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平らぐること九十五国・・・」蝦夷(えみし)や熊襲(くまそ)など国内外の敵を制圧したことをアピールしています。

順帝は武に安東大将軍倭王の称号を授けました。上表文を送った理由は、高句麗に対抗するための支援依頼、国内の支配体制を固めるための権威付け、大陸の進んだ技術を導入するためなど諸説あります。

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