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1333年鎌倉幕府滅亡後に行われた後醍醐天皇による政治は?

1333年東勝寺において北条一門が自刃したことで鎌倉幕府は滅亡します。その後、後醍醐天皇を中心とした政治体制がつくれらますが、これを何と呼んでいるでしょうか?

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建武の親政(けんむのしんせい)です。
建武の中興(けんむのちゅうこう)と呼ばれることもあります。

後醍醐天皇は延喜、天暦の昔を理想とし、天皇が直接政治を行う仕組みをつくろうとします。

しかし、天皇の側近が重用され、武士が冷遇されたことで対立が生じ、足利尊氏(あしかがたかうじ)を中心とする武士たちが後醍醐天皇から離反し、わずか3年弱で建武の親政は崩壊しました。

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