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645年蘇我入鹿が殺害された政変とその後に起こった改革は?

645年に大臣 蘇我入鹿(そがのいるか)が殺害される事件が起こります。この政変名と、その後に起こった改革は何と呼ばれたでしょう?

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乙巳の変(いっしのへん)と大化の改新(たいかのかいしん)です。

622年に聖徳太子が亡くなり、628年に推古天皇が崩御します。蘇我氏を抑えていた両名がいなくなったことで、蘇我氏の専横が顕著になりました。643年には対立していた聖徳太子の子 山背大兄王を攻め自害させています。

天皇をも凌ぐ力を手に入れた蘇我氏に危機感を抱いた中臣鎌足(なかとみのかまたり)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)たちは、朝鮮からの使者を迎える儀式の最中に入鹿を襲い殺害します。

入鹿の死を聞いた父の蝦夷は自宅に火をかけ自害しました。この政変によって蘇我氏は滅亡したのです。

乙巳の変をきっかけに様々な改革が行われますが、この政治改革を総称して大化の改新と呼んでいます。

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